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盤鬼・西条卓夫の仕事ぶり

    父・盤鬼が毎月数々のレコード盤を聴いては執筆している姿に私が気付き始めたのは小学生の頃昭和30年代、既に『芸術新潮』誌と『ラジオ技術』誌に毎月レコード評論を掲載していた。その頃の盤鬼は書斎に深夜まで粘って起床が昼近くになるので、母も私等子供達も午前中騒ぐとよく怒られたものだ。その頃の盤鬼に格別だったのは書斎に深夜まで粘って起床が昼近くになるので、母も私等子供達も午前中騒ぐとよく怒られたこと位であった。盤鬼の仕事ぶりに注目し始めた私の中学生時代昭和35年以降のこと、レコード盤の数箇所に針を落とすだけでさっさと次の盤に移る、そんな聴き方でよくわかるなと感心したものだ。曲想や名演奏の数々を理解した者には演奏の良し悪しが即座にわかるものとその後わかった次第。つまるところほんの短時間つまみ食いされただけの盤は凡そ失格ということである。聴いた後が本番で、深夜まで続く延長戦、思案に引っか掛かって執筆がなかなか進まず苦労していたようである。就寝後も寝つけず何かを思い起こしてはよく書斎を往復していたと母から聞いていた。思案の中心は、後年わかったことであるが、文意はもちろん、的確な語彙の選定と簡潔な表現へのこだわり、試行錯誤であった。あの歯切れの良さは長い思案の賜物であった。彼のこうした文体の特徴は実は少年時代に培われたもののようである。彼は山口県下関に近い片田舎での旧制中学生時代詩歌の創作に夢中で、その方面の雑誌に投稿してはペンネームとともに何度も活字になるほど文才があった。すなわち韻文の創作力がその後の簡潔でリズミックな表現に繋がったと思われる。彼のこうした取り組み姿勢の源は常に読者を意識していたことによる。レコード盤は当時も1枚2千数百円と今より格段に高価であったことから、彼はよく言っていた、読者はこの記事をたよりに大枚はたいてレコード盤を入手するはず、無駄な買い物はさせないと。プロのアーティストは聴き手によってその才能に基づいて選別・淘汰されて当然と。盤鬼が愛用していたオーディオ装置は、アンプは一貫してラックスマンの真空管式プリメイン(昭和40年頃はSQ38Dを使用)、スピーカーも一貫してナショナル製のミッドバスとトゥイーターを巾、高さとも数十cmあるフロアー型ボックスに収めたものであった。なお戦前愛用していたSP盤用の手回し蓄音機の英国製名機「203号」は私が物心付いた昭和20年台後半には既になかった。戦後の混乱期に已むに已まれず手放したものと思われる。SP盤はわずかに残すのみで、既にLP盤が盤鬼の仕事の種になっていたのだ。

新版『名曲この一枚』

   盤鬼・西条卓夫が聴き手本位に精選したLPの名曲、名盤の集大成です。1964年の発刊以来その後絶版となって久しい中、アルファベータブックス社から新装復刊された次第。本書中の名盤は今も色褪せず、聴き手を離さないことは勿論、演奏家の模範とすべき教科書とも言えます。また名盤にまつわる物語も盤鬼らしい峻烈な筆致で面白く、読み物として活き々新鮮。更に彼がものした随筆11本も収録、盤への憧れ、情熱が一入です。本書推薦盤はほぼ復活、入手でき、付録のCD一覧は有難い。https://alphabetabooks.com/lineup/907/

『盤鬼随想録』

   盤鬼が過去『ラジオ技術』誌に掲載した分がここに復活しており、新版『名曲この一枚』には無い随筆、更に盤鬼が引退するに及んで推薦盤をまとめてものした彼の仕事の集大成『私の終着LP』が載っておりファン垂涎の宝であります。また盤鬼の推薦盤6曲の入ったCDも付いておりほんの一部ですが名演を耳にできます。https://radiogijutsu.jp/

名曲この一枚書影(決定版).jpg

アイエー出版

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