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336. 好感一入、プレスラーとエマーソンのシューマン・ピアノ五重奏曲:彼特有の感性、ロマンティシズムに裏打ちされた彼の室内楽の代表作かつブラームスのものと双璧をなす名作である。しかし演奏は各パートのバランスとハーモニーが難しく、シューマンらしいコクを引き出すのが至難に近い。そんな難曲にあって渋くとろけるような音色のデムスとバリリ四重奏団によるLP初期の名盤は今以って色褪せない。さてメナヘム・プレスラーとエマーソン四重奏団の演奏はどうか。コクが今一足りないが、ピアノのしっとり感がシューマンに繋がっており、各パートの統制が取れ均質な上情感の籠った心 配りがとことん行き届いていて好感一入。昨今名演が乏しい中聴き応えのある一枚。9月15日朝7:38~約33分間。
337. タルティーニのヴァイオリンソナタ「捨てられたディドーネ」:彼はバロック時代のヴァイオリンの名手かつ名伯楽で数々の名作を遺した。中ではヴァイオリン協奏曲ニ短調や特にヴァイオリンソナタ「悪魔のトリル」が有名で多くのアーティストが手掛けているが、何故かト短調「捨てられたディドーネ」に限って聴く機会が乏しい。次の古典派を飛び越えいきなりロマン派流の抒情豊かな名作なのに勿体ない。それだけにエリカ・モリーニ(Vn.)/レオン・ポマーズ(Pf.)の演奏は貴重なのだが、それに留まらず耽美、秀麗な名演と来ていて幸い。クッキリ細やかで明美なトリル、血の通った可憐なボーイングなど息を呑む程見事だ。そんなモリーニはこの演奏に限らず元々高度な芸格の持ち主、何を弾いても期待を裏切らない女流の妙手だ。10月1日朝7:43~約15分間。
338. バックハウスのライヴ秀演、ベートーヴェン「ワルトシュタイン」:1969年ヴィルヘルム・バックハウス85歳のライヴ(オーストリア)、冒頭にちょ っとミスはあれど質実剛健さは健在、聴き手の胸に細やかに刻み込むようなピアニシモそしてずじんと迫り来るフォルテシモ、一音々に妥協の全く無い力演、これ程真剣、円熟した「ワルトシュタイン」は初めて、正にベートーヴェンそのもの。数日後病没しており、これがベートーヴェンの真髄をストイックに追い求めた集大成だったかもしれない。10月6日朝7:28~約28分間。
339. ベルチャ四重奏団が出かした、ベートーヴェンの「大フーガ」:元は弦楽四重奏曲op.130の最終楽章だそうだが、なるほど長大なので単独曲とした方が聴き手にとって新鮮で親しみ易い。大体フーガとは追いつ追われつ只々繰り返すややもすると単調この上ないもの、それも「大」となれば負担となり飽きが来る。しかしそこは流石ベートーヴェン、巧みに発展、進化し、新境地に聴き手を至らしめ思索を促す。それは大した難曲で腑抜けた演奏に成り勝ちだが、ベルチャ弦楽四重奏団は明晰、闊達、緻密、好ハーモニーで聴き応え十分、幾分速いテンポが曲を締めていて良い。音質も綺麗だ。なお弦楽四重奏曲op.18-3も好演を披露、10月5日放送の「名演奏ライブラリー」にて。
340. 新鋭ソロによって蘇ったシューマンのヴァイオリン協奏曲:短期間の作らしく同じ旋律を何度か繰り返し、太鼓も同じ調子で何度も耳障り等未整理な、ムードは良いが締まらず映えない曲。それ故好演が乏しい中、初耳のヴァイオリニスト・ダニエル・ロザコヴィッチがクリスティアン・マチェラル/ケルンWDR交響楽団をバックにしっかり聴かせてくれた。傑出してはいないが、きめ細やかな情感、芯の強さ、要所々の踏み込み、掘り下げなど格別だ。殊に作風の退屈な中間緩徐楽章を抒情深く心底和ませるところなど新人離れしている。またイザイの無伴奏ソナタ第3「バラード」も弾いているが好演だ(いずれも2025年3月ケルンでのライヴ)。10月9日放送の「ベストオブクラシック」にて。なおここまで聴かせる彼に著名なコンクール・タイトルが無い一方凡演を重ねるあま多タイトル保持者の存在は何なのか。