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12.音楽を倍楽しむ聴き方

    ある曲を初めて聴く時何も先入観念を持たない方が倍楽しめる。無心で聴けば想像の翼が広がり色々なひらめきがあろうし、夢もふくらむ。一方作曲家の生い立ちや経歴を勉強し、昂じて曲毎に作曲当時の暮らしまで頭に入れ聴いたのでは想像の妨げになり楽しさは半減以下に削がれてしまう。大体当時の生活ぶりや心境が作風に通じるとは限らない、逆のこともあり得る。無心が一番である。演奏家のそれも勉強しない方が良い。コンクールの達人だったとしても大抵は大したことないし、逆のこともある。その年齢もあまり関係ない、若くして頂点を極める者もいれば中高年になってから味が出て成功した者、様々である。やはり無心で聴くべきである。学者の方々は仕事柄どうしても調査、勉強しなければと思うが、先ず無心で聴いてできるだけ楽しんでからにすれば研究の幅が広がることでしょう。また曲の最初から最後まで通して聴かねばならない事はない。特にマーラーやブルックナーの長い交響曲などお気に入りの楽章だけでも結構、演奏会ならば仕方ないが、退屈を我慢しながらねばる必要はない。楽章も順番とは逆に聴くことも曲によってはあり得る。盤聴きならではの楽しみ方である。聴くための装置について一言、高価な名機は必要ないが、あまりに貧相ならばせっかくの名演奏も台無しになる。CDラジカセからコンポに変えるだけで、更にコンポから気に入ったスピーカーを含むパーツの組み合わせに変えれば音質が倍以上格段に向上する。なおパソコンなど小さな装置から聴く場合、イヤーホーンないしヘッドホーンを使えばこれも格段の音質で楽しめる。

13.音楽評論家の持つべき矜持

    音楽は奏でるのも聴くのも楽しいもの、芸術一般、感動した時など人間に生まれて来て良かったとつくづく思う。その感動を多くの人々と共有できればとかねがね思っている。そこで一役買うのが評論家であろう。彼は感動した思いを多くの人々に伝えたい一心でその道に入るはず。しかし仕事となると感動した時だけ発信すればでは済まない、それで定期収入を得日々生計を立てているのだから。すなわち思わしくない評論も避けられない、評論家と言う職業のつらい一面である。父、盤鬼・西条卓夫もそうした一人で、褒めることが極少なかったから尋常には行かなかったはず。レコードメーカーからそれまで試聴用にと月々届けられていた新譜の所謂「白盤」がそのうち差し止められ困ってしまった。褒めて褒めて褒め千切ればこれほど楽なことはなかったはずだが、信念を曲げられないのでそれができなかった。褒めようと期待して聴いても褒められない、実につらかったことだろう。一方短所は押し殺して無理やり長所をひねり出して来る空虚な評論家が目立つ。鑑賞力が無ければ兎も角、ステークホルダーに遠慮して無意識?のうちに批判の矛先が鈍くなり、錆付くのだろう。やがてかつてのK氏、S氏、U氏等同様ファンの支持を失い忘れ去られる。なお昨今学者肌の方々が増えたのか楽理や歴史に詳しいばかりで演奏の評価を避け勝ちだが、それでは評論家と言えない。いずれにしても見識はさることながら褒めるもけなすも自己に忠実に評価、表明するのが評論家の矜持と言うもの、諸先生にお伝えしたい。

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