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16.ノン・ヴィブラートにこだわるな

    ヴィブラートは弦を抑える指の操作で音を揺らす弦楽器でお馴染みの奏法、情感を込める上でとても効果的だし、滑らかなに掛かれば心地よい。声楽でも個性や歌唱力を強調する上で有力な武器になる。ところがヴィブラートを掛けないいわゆるノン・ヴィブラートにこだわる風潮が昨今見られ特に古楽演奏で目に付く。それで曲想にピッタリならば大いに結構なのだが、肩透かしを食うばかりで好演は先ずない。単調、ずん胴、ズーズーと引きずっていて聴くに堪えない。ノン・ヴィブラートは反ってとても難しい奏法なのでは?、ヴィブラートを掛ければ例え大家でなくとも聞こえは良くなるし、技量をある程度カバーできる。ノン・ヴィブラートにこだわる下手な演奏より、ヴィブラートを掛けて多少とも綺麗な演奏の方が余程増し、聞き栄えしないノン・ヴィブラートならやめましょう。古楽演奏はノン・ヴィブラートでとの根拠曖昧な観念にとらわれず、一途に好演を心掛けてもらいたい。

17.フォルテピアノは未完成品、ピアノ演奏がベター

    弦で鳴らす鍵盤楽器はバロック時代までの弦をはじくチェンバロから弦を叩くピアノへと発展して来た。そしてピアノの登場によって音の強弱が効きかつ音量が大幅に増強したので、大ホールやオーケストラにも負けなくなった。しかし一足飛びに現代のピアノが生まれた訳ではなく、過渡期のものはビリビリしかすれて濁り、ピュアで澄んだ音色のピアノに対して「フォルテピアノ」とし区別される。その後弦を支持する枠に鋼鉄製を採用する等改良を重ね、やっとショパンの時代には概ね現代の水準まで到達したようだ。さてこの過渡期の「フォルテピアノ」だが、最近その演奏をよく耳にする。商機に乗せられたのか、ブラームスをこれで弾く御仁まで現れびっくり。確かにハイドンやモーツァルト、初期ベートーヴェンの作曲当時はフォルテピアノで弾かれたことから、その時代の演奏を再現したくなるもの。しかし当時の作曲家はその未完成の音で可しとしていただけで、現代のピアノに出会えていたら断然その虜になろう、ピュアで透明感のある音色、それにダイナミックな響きに圧倒されたはず。同じ曲でもフォルテピアノよりピアノで弾く方が何倍も引き立つならば当然ピアノで演奏すべきで、ハイドンやモーツァルト達も賛同したことであろう。強いてフォルテピアノの特長とすれば、素朴さか、オリジナルによる演奏であれば未だしも、多くはオリジナルをモデルにした新作コピーによるもので中途半端、一時物珍しいだけで結局ピアノ演奏に回帰するはず。蛇足ながら、私が大昔学生時代イタリアから盤を取り寄せた折のこと、ピアノ曲のはずが、盤面は「ピアノフォルテ(pianoforte)」との表記だった。聴いてみればやはり現代のピアノ、フォルテピアノでなくて良かった、紛らわしいものである。

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