5.音楽を奏でる人、聴く人
演奏家と聴衆あるいはレコードやCDの鑑賞家、双方の姿勢について常々思うことがある。演奏家は聴衆の受け狙いで弾くのか、聴衆の理解はともかく自分の思い通りに弾くのか、男性はともかく女性の演奏家はきらびやかな衣装で出てくることが多いが、聴衆の受け狙いではないのか、美貌ならばなおさら。自分の音楽を聴衆に切実に伝えたいのであれば、見栄は不要むしろ邪魔なはず。尤も歌劇はそうとは言えないが、歌と同時に服装や立ち居振る舞いも楽しむものだから。演奏家がスタジオ録音する場合はどうか、レコードやCDには映像がないので、演奏家は見栄でのごまかしは効かないから真剣勝負になろう、何度も採り直すかもしれない。では演奏家が披露したい自分の音楽とは?、演奏テクニックか、即興か、作曲家の意思通りか、それとも自分の哲学か。バッハを演奏する場合など、良し悪しはその姿勢で決まる。テクニシャンでも楽譜一辺倒でも困る、テンポがしっかりしているだけでとかく味もそっけもない凡演になる。一方演奏会場の聴衆の立場はどうか、男性の演奏ならば普通黒衣なので音声に集中できるが、女性ならば艶姿に騙されるかもしれない、うっとり見惚れてしまいそう。特に昨今の美人ヴァイオリニストには要注意だ。しかし目を閉じるなり下を見て聴けば真価がはっきりわかる。本来音楽を求めて来ているので、演奏家は見栄でなくその音楽で勝負してもらいたい。その点レコードやCDならば実力を見定め易い、繰り返し聴けるからなお更である。それならなるべく良い余裕のある音質で聴きたいもの、オーディオ装置にある程度の出費が必要だが、演奏会詣でを控え経費をこちらに振り向けるか、悩ましい。何はともあれ聴き方を見直してみると新発見があるかもしれない。なお蛇足ながら、コンサートの度に興ざめに思うことがある。演奏がきっちり終わらないうちに拍手や歓声、奇声が上がる。本来ならば演奏家の辞儀まで待つべきで、せめて音声がはっきり消えるまで待たねばならない、余韻も音楽の大事な要素なのだから。